眠たげな猫の傍で

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眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

きみをきらいな奴はクズだよ

昨日の悔しさが残ってて、解放感に満ちた土曜日にはならない。家に私以外の人がいると、その人を構ってあげないと罪悪感というか、本を読んでいる場合じゃないだろっていう気持ちになって、自分の趣味に没頭することが出来ない。なんとかその気持ちを断ち切って読んでても、視線が気になるのだ。そういうわけではないけど、外に出る用事があるので昼前に家を出た。なんだかほっとして、このままでいいのだろうかという暗い気持ちが残った。

 

初めの頃の気持ちを持続させるのは難しい。あの頃をもう一度というよりかは、今の二人の気持ちでどのようにしていけば良い距離感を保てるのかということを考えて方が建設的に物事が捗る。断定的に表現するのは、そうあってほしいという気持ちの表れなんだろう、たぶん。

 

油そばから逃れられない。初めて食べたのは去年の仕事の昼休みのときで、そのときはまあこんなものかとそこまで感銘は受けなかったが、何回か食べるごとにそのうま味の都梨子になった。突き抜けて美味しいわけではない。ただ、何度でも食べたいと思わせてくれるような何かが潜んでいるのだ。今年に入ってからは毎週のように食べて食べて食べて、軽く30回は食べたと思うのに、さっきもてんこもり食べたのに、また明日も行こうかななんて思っている。どうかしているのだ。もうひとつこのお店を気に入っているのは「混みすぎていない」のだ。私が東京観光にはまっていた時期に衝撃を受けた○○○はいつ行っても車道にはみ出るほど混んでいるので、そこはもうよっぽどのことがないかぎりは行かないと決めた。待つということが私は物凄く嫌なのだ。待っている時間に本を読むなりスマホを弄ぶなりしてればいいじゃないかという向きもあるだろうけど、できることなら私は待つということをしたくない。せっかちなのだ。さっさとしてくれっていうせっかちな気持ちが人より強くて、待つということに人一倍イラッとしてしまうのだ。そこで、いつも通っている油そばの店だが、基本的に空いている。すっからかんというわけではなく、程よく席が埋まっていて、変な緊張感を持つことなく麺を啜ることができる。駅からまあまあ近いところもついつい行ってしまう要因だろう。特にこの話にオチはないです。以上です。

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