眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

忘れてしまうならそれでいい

ゆっくりと一日が過ぎることに慣れない。やることが多くて仕事はあっという間に終わってしまう、終わってないのに。今日は非常にのんびりして、欠伸をするのがとても似合う。晴れ晴れとした天気は心地よく、散歩にでも出掛けようかなと思える。いつも休日は本を読み、音楽を聴き、たまった洗濯物や洗い物を片付けて、他になにもすることがなかったらぼうっとする。有意義な過ごしかただと自負する。親からは将棋やれ囲碁やれジムで身体動かせいと言われるが、やる気が起きない。本棚で読まれるのを今か今かと待ちわびている本に申し訳ないので、先月から意識的に多くの本を読むように心掛けている。読めば読むほどまだまだ読み足りないと焦る。知れば知るほど、読みたい本は増えていき、電池が切れるまでに読みきれる気がしない。どうしよう。

 

二ヶ月ぶりに散髪に出掛けた。先々週あたりから髪鬱陶しい長くなったら自動的に短くならないかな、美容院なかなかに混んでてなかなか行けなかった。どんな髪型にしたいのかうまく伝えられない。そもそもどんなか髪形にしたいのかというのがない。短くて、軽めで、いい感じに。相手が私の伝えたいことをうまく汲み取ってくれたらいいけど、なかなかそうはいかない。今日も「二ヶ月ぶりなんで、四センチカットで」(両手はチョキチョキのポーズ)と言ったら「四センチだと、大部分短いですよ。一か月に伸びるのは一センチですよ」と返してきた。「じゃあ、二センチで」何かうまく伝えることはできないものか。チョキチョキチョキと髪の毛を切られているとき、恍惚とした気持ちになる。昔からそうだった。自分の身体の一部が自分から離れていくということに一種のカタルシスを感じるのだ。でも、昔ほどは気持ちよくはない。小さい頃は、こう、ざっくざっくと髪が切られている「感触」を存分に堪能できたが、最近はなんか素っ気ないというか、あまり頭皮に刺激がないままに髪の毛が頭から零れ落ちていくのだ。それでもうつらうつらとしながら居心地の悪い椅子に身を委ねて髪を切られるのは心地よいものだ。いつまでもこの時間に浸っていたいものだ。

 

一昨日の夜はようやく松田青子の本を読んでいて、午後11時半から読み初めて、日付が変わったら寝ようと決めていたのに、ずるずると読み耽って、気付いたら1時半を過ぎていた。人々が日常を生きていて抱く違和感を上手に切り取って、それをうまく消化して文章に織り混ぜており、うんうんそうそうとヘッドバンキングしかねない勢いで同意しながら読んだ。

 

「大丈夫です。私たちきっと、大丈夫です。こんなにがんばっているんですから、大丈夫に決まっています!」

 どこかのフロアからCの声が聞こえた。どのCが言ったんだろう。何人もいるからすぐにわからない。まあ、どのCもだいたい言うことは同じだから、どのCでもいいだろう

 

好きなスカートに好きな靴に好きなバッグに好きなポーチに好きなリップ。大丈夫。私は守られている。C川は働こうと思った。働くぞ私は。そのために私はここにいる。C川はリターンキーを押すと、スリープ画面を蹴散らした。

 

少し分かり易い文章であっという間に読み終わってしまうけど、後で読み返すと些細な所がグサグサと刺さって痛む。これからもそんな作品を書いてほしいと思いました。以上です。

 

 

スタッキング可能 (河出文庫)

スタッキング可能 (河出文庫)

 

 

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