眠たげな猫の傍で

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眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

いきあたりばったりばかばっかり

寂しさを抱えているときに優しくて激しい音楽が無性に聴きたくなるように、ひたすらに文章を書き綴っていたいと思えるほどに、ここ二週間のイージーモードから抜けきってしまってちょいときつかった一日。くだらない奴に叱られるとか、やるべき仕事の着地点が見えなかったり、やたらと心の中で溜め息をついてしまった。最近の自分の人生がイージーだとは薄々気付いていたけど、いざそのモードから抜けると辛い。慣れるまで、辛い。

このブログを書き始めたときは毎日のように記事を更新すると思っていた(それほどに自分には外に出したい考えがたくさんあるはずだ)けど、始めてみるとそこまででもなくて肩透かしを食らった。ただのんべんだらりと時間を過ごしていた気がする。もっと生産的なことをしなくちゃ、意味のあることをして自分の人生を充実したものにしなきゃ、と焦る。

そんな気持ちに駆り立てられる度に、「いや、生きるなんていい加減がいい加減」だなんて思う。思うようにしてる。私は考えすぎてしまう傾向にあるから、そのぐらいの心構えでいたほうがうまく行くのだ。そんなことは心の中で思っていても外には出さない。私のいる職場は比較的のんびりしてるので、そのような主張をしてもあまり角がたたない気がするが、余計な発言で誰かの神経を逆撫でしまったら面倒なので、控えめで過ごすことに主眼を置いている。いや、控えめどころか私は空気のような存在なのかもしれない。私語などは仕事中にはもってのほかだ、というモーレツ思想を抱いており、また笑いながら仕事をしていたら誰かに麻酔銃を撃ち込まれてしまうのではないかとハラハラしている。周りが井戸端会議に余念がないときでも、私は私が全うするべき仕事に従事していなければならないのだ。なんなんだ、この強迫観念は。本当はみんなと喋りたいくせに、一人ぼっちで寂しいくせに。

言葉を発さない日もざらにあるから、言葉を発する器官が衰えてしまって、急に言葉を発することを求められると「あっ」とか「うっ」とかという言葉が口から溢れ出てしまい、あとはどんな言葉が紡がれるかは神任せだ。

夏が終わってしまいそうでやだ

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