眠たげな猫の傍で

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眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

ようやくはじまる

明日から黄金週間が始まるわけで、今からもうわくわくしてしまって無駄にテンションが高いです。明日の今頃には海鮮丼を頬張っているんだろうなと思いながら、のんびりと4月28日を過ごしています。仕事が忙しくなりそうな気配が一向に見えず、これは会社に見捨てられてしまったんじゃないかと心配してしまう。ほんとうにやることがなくて、月に二日ぐらい少し忙しい日があるだけで、あとはただただ時間が過ぎるのを待っているだけで、それならもう仕事辞めちゃって他のところへ行けばいいんじゃないのか、もともとそんな気持ちを抱いて今年はやってきたじゃないかいとか思いながらも、ほくほくとした気持ちで午後を迎えます。あと少しだー。

一度目を閉じてしまったらもう二度と開けたくないようなこの世界で僕は今日も呼吸をする

男が道に倒れていた。その姿はあまりにも周りの風景に溶け込んでいるもので、街行く人々は彼に注意を払おうとしない。道の上に落ちている石ころのように、彼はただ動きもしないで倒れていた。でも彼の顔をよくみてみると目は少しだけ開いていて、口もゆっくりではあるが動いている。何かを伝えようとしているのであろうことはわかるが、これほどの些細な所作では内容を判別することは不可能である。段々と彼の動きが緩慢になっていき、夏の日差しが一段と強くなった頃に動きが止まってしまった。ゆっくりと目を閉じたその男は最後に何を思っていたのか、何か伝えたいことはあったのだろうか。考えても分からないことは考えなくてもいいことではない、突き詰めたいなら突き詰めればいいし、飽きたなら忘れてしまえばいい。いずれ彼がこの世にいたということを覚えている人間はいなくなってしまうだろう。それもまた潔くていいではないか。生きた証がどうせいずれはなくなってしまうのなら生きたってしょうがないと思うんだったら好きにしたらいい、でも生きてると「あっよかった」と思える瞬間に一つや二つ出会えるはずだ。それに遭遇するためにその他の時間は暇潰しだと思って生きるのもいいんじゃない。

「フランケンシュタインの恋」がべらぼうに面白くて一週間も待つのがもどかしい

つべこべ言わずにとりあえずは見てほしい。ベタなドラマであることはわかっている。そして制作者の意図に乗せられていることもわかっている。でもそれを差し引いたとしてもたくさんのおつりがやってくるほどに、「フランケンシュタインの恋」は面白かった。これからどういった展開になっていくかはさておき、1話のきれいな出来上がりと来たら、起承転結のきれいなお手本を見ているようでうっとりとしてしまった。二階堂ふみってこんなにもきらっきらな感じの演技ができるんだとか、綾野剛ってWikipediaで調べたらこんなにも年だったんだ、てっきり二十代後半だと思っていたよ!と話に関係のないところでも充分に盛り上がることができた。しかしだ。このドラマの肝はいかにして人間で在らざるものが人間世界に溶け込んでいくか、惚れてしまった女性に対する感情をどのように昇華していくのかの過程を楽しむものでもあるし、二階堂ふみのまっすぐな演技と綾野剛の不器用な怪物の演技がこれからどのように化けていくのかも楽しむもとだと私は思うのだが、いかがか。このまま楽しいドラマとして最後まで駆け抜けていってほしい。あとRADWIMPSの曲がドラマにはまりすぎていて、聴いてて辛いです、曲が出たときは自分に当てはめながら聴いていたので、尚更当時の思い出をぶり返して辛いです。以上です。

僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

僕も人間でいいんですか? ねぇ誰か答えてよ
見よう見まねで生きてる 僕を許してくれますか

僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで
バッタもんのわりにですが
何度も諦めたつもりでも 人間でありたいのです

 

サイハテアイニ/洗脳(初回限定盤)

サイハテアイニ/洗脳(初回限定盤)

 

 

人生は〆切だらけ

仕事はのばせばいくらでものびる。しかし、それでは、死という締切りまでにでき上がる原稿はほとんどなくなってしまう。

p283

 

この本を読んでいて生きていることは〆切の連続だよなと痛感した。人生の〆切=死までにどれだけのことができるかを試されているようでそんなものは勝手に人間が作り出した妄想みたいなもので、〆切なんて概念は思い出さなければ無いに等しいものだ。仕事における諸々の〆切は必ず守らなくちゃいけないものだが、日常生活の〆切は曖昧なままでちょうどいいのだ、私にとって。毎週火曜日には可燃ごみを出して、毎日お皿を洗って、カゴが一杯になる前に洗濯しなくちゃとか、たくさんの〆切はあるけれどそれを守らなかったからって誰かに叱責されるわけではなく自分が少し不快な思いをするだけで、それを我慢できるように心を鈍くしていくことが緩く生きていく上で大切なことなんじゃないかと。同棲者がそこらへんにシビアな人だとちょっとめんどくせえやって思うけど、運良く私以上にいい加減なぶぶんがあるので助かっている。それにしても、この本を読んでいると幼稚な出任せをついて自分の管理能力の欠如を隠そうとしている作家の姿が散見してて、森博嗣を見習ってほしいものだと思った。けれど彼は別次元の人なので、到底真似することはできないのだろう。「〆切なんか怖くない」の最後に載っている森氏の痛快な批判をものともせずに、今日も出版業界は動いていくと思うと奇妙な世界だ。

 

〆切本

〆切本

 

 p229-p238

高田宏「喧嘩 雑誌編集者の立場」だけでもいいから読んでほしい

休日はDNA狂詩曲→黒い週末→DECORATIONをエンドレスリピートしていたい

日曜日の終わりの終わりの時間になると、無性に寂しくなって布団にくるまってしまう、明日なんて来なければいいのに、このままこの時間が続けばいいのにって思う。楽しい時間をさっきまで過ごしていたら尚更その気持ちが強くなって寂しいというより悲しくなる。AbemaTVでももクロChanの過去回やっていて、若いというよりも幼いなみんなと思いながら、この頃からファンでいたかったなと切なくなった。あの頃のももクロを僕は知らないから、当時の映像を見ると悔しくてなんでもっと前から彼女たちを知ろうとしなかったの?とついつい愚痴りたくなる。存在はしっていたけれど、あの頃の僕はロックばかり聴いててアイドルにまで気が回らなかったのだ。3年前からももクロのことを自分から積極的に知りたくなって、音源もしっかりと聴くようになって、つくづくかっこよくてかわいい最強のアイドルだよなあと惚れ惚れしてしまう。もっと前から知りたかったけど、それでも今の彼女たちを見ることができて、一回でもライブに行けたことを誇りに思う。夏のライブに行けるかな行きたいな行くぞと思っていたらちょっと元気が出てきたので、今のうちに寝ちゃいたいと思います。青春ツアーも是非とも行きたいです。

 

 

列はその規律性を崩さず、目的地へと真っ直ぐに進んでいく

人一人が生きる時間なんてちっぽけなもので、その間に人が変わったみたいに成長するだなんて嘘っぽいなと思っていて、少年が青年に成長する話を読んだりすると白けた気持ちになる。人は根本的なぶぶんでは変わらないし、そんなにコロコロと変わってしまったら同窓会なんてしてもつまらないだろう。久しぶりに会った相手が物凄く変わっているよりも昔と全然変わらねーというほうがほっとする。どうせ変わったとしても外見だろうし、内面が変わったと見えたとしてもどうせ表層的なぶぶんであって、根本から変わるなんて滅多にないだろう。私は小さい頃から臆病者で、今もそれは変わらないけれど昔よりかはそれを隠すことがうまくなって少しは人間社会に溶け込めるようになったようだ。努力なんてしないほうがいい、そんなことばかりしていたら相手に正当性を求めるつまんない人間になっちゃうから。今の社会はくだんねえから革命を起こそうとか言っている前にさあ、自分を変えることすらできないのに社会だなんてねえ...と一度冷静になって考えた見た方がいいんじゃないですか。

 

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

 

 

ねむい

とあるビルのとある喫茶店でヨーロッパの若者の音楽を聴きながらうとうとと眠っていた。昨日今日と積極的に動いたお陰で体は見事にも疲弊してしまったようで、先程まで意識を失いかけてました。昨日は江ノ島へ、今日は悪い芝居の「罠々」を観に池袋へ、充実した2日間を噛み締めながらカフェモカを飲んで、あと少ししたら夕御飯を食べてごろごろしてから寝て、そして起きたら会社に行くのかよ!時間があっというまに過ぎていく虚しさが日に日に強まってきていて、焦燥感でお腹がいっぱいになってしまいます。さあ、明日も頑張らないぞ。


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だらっとした生活が続いていく続ける勇気はあるのかい?

一昨日も昨日も今日もおんなじような一日がだらっと流れていく。どうせ明日もおんなじような一日が来るんだろ。止める術はあるけれど、そのあとの日々が楽しそうには思えないからなかなか踏み込めない。朝起きて、会社に行って、家に帰ってきてだらーっと自分の時間を過ごして日付が変わる頃に就寝。とりたてて悩んでいることはない、まあこのだらっとした日々を続けることに一抹の不安を覚えているぐらいだなあ。だらっとした生活はいつまでつづくのだろうか、案外平然としていられるこんな日々の積み重ねを幸せというのかもな。

この目の前の景色全部罠

昨日池袋の東京芸術劇場で悪い芝居の「罠々」を観てきた。始まったらあっというまに時間が過ぎて気付いたら終わっていた。汗が次から次へとあふれでてきている錯覚に陥るほど心が緊迫していた。目の前で繰り広げられているこれがリアルなのか私が生きていると錯覚している日々がリアルなのか分からなかった。「人生はドッキリだ」と劇中で何度も繰り返される度に、あの人のあの言動は罠だったんじゃないのか、昨日町で目にしたあの光景も罠だったんじゃないのか、もしかしたらこの演劇を観ていることこそが罠なんじゃないのかと思ったら落ち着かなくなってきて呼吸が浅くなった。内容を充分に理解することはできなかったが、えもいわれぬ快感が身体中を駆けめぐって息をするのがやっとだった。特に普段はアイドル活動をしているあんちゅの演技が前回のメロメロ同様抜群にかっこよくてかわいくて、この子を見るために一年間何かしらを頑張ってきたんだなあと暖かい気持ちに浸れた。もっと観ていたかった。千秋楽ではどんな罠を仕掛けられるのか今から楽しみでしょうがないです。


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ちっぽけな世界の主人公

もっと遠くまでしっかりと掴んで飛ばしてほしかった。物事に対して私が望むものはただ一つ、私をここじゃないどこかへ連れてってくれ。どんなに突飛なアイデアでもいい、どんなに堅実なものでもいいよ、それが私の価値観をぶち壊してくれるのなら。めっためたにしてくれ、そしてわくわくしてくるようなものを前に差し出してくれないか、私はそれを躊躇しないで受けとるつもりだから。置きにいかないでほしい、もっと冒険してほしい。世間に既に溢れているようなものなら、出さなくてもいいよ。

 

スペードの3 (講談社文庫)

スペードの3 (講談社文庫)

 

 

進めなまけもの

気を抜くとすぐに脱力全開で世界を憂える悪い癖が体にまとわりついて、何もしたくなくなる。そんなときは無理にでも体を動かして頭をシャキッとさせないとズブズブと底がない沼に嵌っていく。今日は昨日に比べれば比較的ストレスが少なく生きることができたわけだが、果たしてそれはいいことなのか。パワーが強すぎるストレスはNGだが、ストレス濃度は低すぎる毎日は怠ける基になっていまうし、人間として腐っていってしまうから、ほどよーく負荷をかけてあげたいんだけど、負荷をコントロールできるほどまだ仕事に対しての主導権が握れていない。悔しいかな、ほしいと思っているときに手に入らないものほどすんなりと手に入るときにはそれほどほしくなくなっているものです。何を言いたいのかというと、程よく程よく負荷をかけてください、それに耐えうる体力は子供のころに比べてついてきたと思うんで、どうぞお願いします。といってもうまいことことが運ばないのが世の常であるわけで、今日もまたついてもしょうがない溜息をついてしまうのです。

楽しいと思い込ませる

騙し騙しやってきたけれど、もういいかなって思う。楽しかった日々は終わったの。子供の頃のような、何の打算もなく楽しめる時間はたぶんもうこないんだと思うと、これから歩いていくのがめんどくなった。歩いていけばいろいろとこれからめんどいことがあって、それを乗り越えていかなくちゃいけないんだったら楽しいこととかもういいかなーとか思ってしまう。こんな苦労をするならもうここでスパッと止めてしまおうって思うし、周りに人がいなかったらたぶんやってる。親も兄弟もいるし、恋人も郷里の友達もいるから思い止まっているだけで、それもどうなんだろうなあ。暗いことばかり考えているっての分かるけど、落ち着くんだ。眩しい世界にはもうたぶん戻れないし戻りたくない、薄暗いこの灯りでちょうどいいんだ。僕の人生を決めるのは僕だ。悔いはしないために、今決めよう。やりたいことがないなら、もう終わりにしようか。

また輝ける日は来るのかな

小学生の頃は毎日が意味もなく底抜けにただただ楽しくって、友達と遊んでばかりいた。仲のいい子と学校終わりに日が暮れるまで遊んでいた。当たり前の日々だと思っていたものがすごく幸せなことだったんだと今更ながら痛感する。何もない、今の私には誇れるようなものが何もないから寂しくなる。何か一つでも人より秀でたものがあれば誇らしげに堂々と人生を歩けるものなのか。言語が堪能なわけでもないし、頭の回転が早くもないし、運動神経がべらぼうにいいわけでもない、平凡な人間だ。少しばかし音楽と小説が好きで、仕事が終わったらそれらにかかりっきりで一日が終わってしまう。そんなのでいいのかな、自己研鑽とかした方がいいんじゃないのかなって思うけど、会社から帰ってきたらそんなもんしたくないよしないよってなもんで脱力してしまう。そういえば今日はすごくだるくて、低気圧のせいなんだろうなとか思いながらやることもなくのんびりと椅子に座りながら一日を過ごしていましたとさ。明日は今日よりもいい日になる。楽しくやっていきましょう。

 

 

歪なくらいでちょうどいい

完璧にやろうとするから無駄に力が入って変なところでミスをしてしまう。人はどうしたってミスを犯してしまうという立場に立って、ならミスを少なくするためにはどうすればいいのか、ミスが起きたときにどう対処すればいいのかを日頃から考えておいて、いざその段になったらそれを実行するのが大切なんじゃないか。ミスをしてしまうことが怖いから行動を起こさないとか、ミスなんて誰かがカバーしてくれよとかじゃなくて、責任をもって自分の力でやる、んでちょっときついやってときに他人の力を借りるくらいがちょうどいいんじゃないかな。まずまずの力加減でやっていきましょう。

 

 

やりたいことがわからないし、そもそもそんなものあるのかどうかもわからない。ならば、今やっていることの深化や新しいことへの挑戦を増やしていってみる必要があるんだけど怠けてしまうー。

やりたいことをするためにやりたくないことを我慢してやるべきなのか

ということを最近考えるようになって。やりたいことをするためにはお金が必要で、それをどこから手にするのかってのは働くということが手っ取り早いんですね。株とか家賃収入とか働く以外にもお金を手に入れる手段はあるにはあるんですけど、それを実行するためにはある程度まとまったお金が必要だし、親がそのような財産を持っていることが必要なわけで、ふつうな家庭で生まれ育った私にとってはそのような方法をとることが困難で。そりゃ、違法なことに手を染めるってのもあるんでしょうけど、そんなことをしたら肝っ玉が小さい私は始終びくびくしてしまって、やりたいことをやっているときにも心の底から楽しめないんですよ、たぶん、いけないことをして誰かにばれてしまうんじゃないかという怯えのせいで。それに働くということよりもリスキーなことがたくさん纏わりついてくるので、ふつうな人間がお金を手にするためには社会で働くということが一番安全で確実な手段なんです。でも、そうはいっても働くっていうのは大概楽しくないんですよね、ある作業を社員にしてもらうためにわざわざ賃金を払っているわけですから。でも、働いている時間は一日のうちの三分の一は占めているし、それの準備であったり通勤時間を含めるとおそらく一日の半分はそれに時間を費やしていることになるんです。そこまでして手にしたお金じゃないとやりたいことができないのかなっていうことなんです。そこそこのお金があれば一か月は楽しく気楽にやっていけるし、そう考えると正社員として働くよりもバイトで短時間働いてあとの時間をやりたいことに費やすのはすごく魅力的なんですよね。でも、ここで世間体っていうもんが幅を利かしてきて、なかなかそっちにシフトできないっていうわけなんです。親戚の視線とか、大学時代の友達の評価であったりとか、そんなんは気にしたほうが負けなんですけど、どうしても気にしちゃうんですよね。それのせいでやりたくもない仕事をやって疲弊して一日を終えて、その気分を少なからず引きずりながら休日を過ごしてしまうっていう。完全に仕事に支配されている生活を送っている現状に疑問を感じている、これをどうにかしなくちゃいけないな、でもこのまま何も考えないでそのままレールに乗って生きていくのってすんごく楽なんですよ。誰かに「あいつ働いてないらしいよ」とか、そんなみみっちいことを言われるのが嫌だから嫌々働いているってすごくダサいので、なんとかして今やっている仕事を楽しめないものか、意味を見いだせないものかと思っているんですけど、なかなかうまくいかないもんなんですよね。って愚痴を零したくなった日曜日の夜なのでした。